三原城

三原城(★★ 広島県三原市城町)

小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、甥の毛利輝元を助けて中国統一を完成させて、瀬戸内海の水軍を掌握していた。隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して沼田川口の三原の小島をつないで城郭を築きここに移った。

三原城は海に向って船入りを開き、城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えたので「浮城」と呼ばれている。
小早川氏の移封後も、福島氏・浅野氏の支城となっていたが、国鉄山陽本線が本丸を貫き、今は天守台とそれを巡る濠及び五番櫓と船入り跡が残るのみである(『現地案内板』)。

三原駅周辺が城跡であるが、本丸を鉄道が貫通し、その他の遺構にも商業施設などが建ち、残念な状況になっている。唯一、天守台石垣が見事であった。天守台は素晴らしいが本丸の真ん中を鉄道が貫通し、櫓跡にデパートが建ったりかなり興ざめいたしました。小早川隆景も泣いているでしょう。

 

 

 

 (【左写真】天守台石垣(天守閣は建てられなかった)【右写真】天守台内部(駅構内から立入ができる)

 

 (【左写真】天守台からの眺望(左端に鉄道が本丸を貫通している…)【右写真】本丸中御門跡(デパートが建っている…)

 

 (【左写真】臨海一番櫓跡(城址南端に位置した)【右写真】船入櫓跡石垣(周辺は城町公園となっている)

 

  (2011年9月9日訪問)

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城と古戦場 

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