安芸 新高山城

新高山城(★★★ 広島県三原市本郷町本郷字塔の岡口)

小早川氏の祖、土肥実平・遠平父子は、源頼朝の平氏追討に当って終始勲功をたて、はじめ備前、備中、備後の三国の守護の地位を与えられたが、安芸国沼田荘(沼田川流域一帯、蓮華王院領)の地頭職を得ると一族あげて相模国から西還して来た。鎌倉・室町時代を通じて沼田小早川氏が本拠地とした山城は、沼田川対岸の高山城であったが、沼田小早川家を継いだ隆景は、これまで高山城の副塁であった新高山城の大改修を行い、天文二十一年(1552)にここに本拠を移した。
以来、慶長元年(
1596)に三原城に移るまでの45年間、この新高山城が小早川氏の本拠となった。
この城郭は、標高
197.6mの新高山城の天険を利用した山城で東西400m、南北500mの全山を城塞としている。山頂尾根を削平した本丸、二の丸、三の丸など各種の郭は60余にも及ぶ広大なもので、城主や家臣の居館を山上にあげた中世山城から近世の城郭への過渡期を示す城郭である(『現地案内板』)。

本郷町第二浄水場の前に登城口・駐車場があり、厳しい登山を30分経ると本丸に辿り着く。本丸からの眺望は良好で、沼田川対岸に高山城を眺めることができる。

 

 

 

 (【左写真】本丸跡(居館跡の礎石が一部露出している)【右写真】本丸を補強する巨石石垣。)

 

 (【左写真】/中の丸(二の丸)跡(複数の郭・土塁を築き、防御を固めていた。)
(【右写真】匡真寺跡(二の丸下段にあり、かつて小早川氏の菩提寺があった)

 

 (【左写真】大手門跡(外枡形で、宗光寺の三門があった。【右写真】番所跡(大手道を警固する番所が設けられていた。)

 

 (【左写真】詰の丸(巨石が露出しているが、櫓があったと推定)【右写真】詰の丸巨石に彫られた仏。)

 

 (【左写真】詰の丸からの眺望(左が高山城で、沼田川を挟んだ対岸にある)【右写真】宗光寺山門(新高山城城門を移築したもの)

 

 (【左写真】米山寺(小早川隆景菩提寺)【右写真】城址遠景。)

 

  (2011年9月10日訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system