曽根城
曽根城(岐阜県大垣市曽根町)の地は、天正のはじめ、春日局の父・斉藤利三が城主・稲葉一鉄の重臣として住んだところと云われる。 春日局は稲葉一鉄の姪・お安と斉藤利三の間に生まれた子であり、のちに一鉄の子・重通の養女となって稲葉正成に嫁した。 曽根城の創築年代は不明だが、西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄が永禄十年(1567)、織田信長に仕え、五万石を領したという。 発掘調査(平成元年四月)の結果、本丸に伴うと思われる石垣と石敷遺構が発見された。石垣は赤坂・金生山から産する石灰岩の自然石を並べ、石敷遺構とあわせて郭を形勢している。さらにその内側にも主郭を囲んだ土塁と石垣が推測される。 本丸跡が華渓寺となっており、土塁と復元石垣が残る。その他の遺構はない。 |
(跡地の航空写真)
(城跡鳥瞰図)
(【左写真】華渓寺 【右写真】復元石垣と土塁跡。華渓寺の裏手にある。)