根白坂砦

根白坂砦(★ 宮崎県児湯郡木城町大字椎木)は、高城の南方、小丸川を隔てて約一〇〇〇mの所にある。

東西に長い丘で、北は断崖上にあり、南は平原になっている。天正十五年に秀吉の軍が高城を攻めた時、宮部善祥坊がここを陣地とした。島津軍がこの陣地に夜襲を敢行したが、宮部の兵はこれを撃退した(『日本城郭大系』)。

豊臣軍の宮部継潤は根白坂に砦を構築し、その左右の高台にも陣を構え、それぞれに一万五千程の兵を配備して島津軍との戦いに備えました。継潤は予め部下に命じ、多数の人夫を使い、深さ二間(約3,6m)、幅三間(約5,4m)程に堀を広げ、その堀の際に土塁を盛って、二間程の木や竹の柱を立て柵を作り、なおその中に鉄砲隊を組織し、厳重な体制で戦いに臨みました。島津軍はこの柵を倒すべく抵抗を試みましたが、苦戦を強いられ遂に柵を突破できず、約三百人程の犠牲者を出し、残りの兵を率いて退却せざるをえませんでした(『現地案内板』)。

「陣の内」バス停付近が砦跡。かつての激戦地も現在は長閑な畑が広がる。

 

 

(宮部継潤 御陣地図)

 

 (【左写真】「陣の内」の地名が残るが、遺構はない。【右写真】根白坂(豊臣軍方面から)

 

  (2011年10月4日訪問)

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城と古戦場 

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