松山塁

松山塁(☆ 宮崎県児湯郡川南町大字川南)

高城の東方約500mの水田中に屹立する丘で、高さは高城とほとんど等しく、五区に分かれている。
天正六年に大友宗麟が高城を攻めた時、豊後の将・佐伯宗天が砦とした所で、同十五年に羽柴秀吉が高城を攻めた時は、羽柴下総守秀長がここの砦に拠った。
この塁跡は現在杉林となっている。宗麟原の供養塔から南方約
500mのところにあり、高城を前に望むところで、古い墓石や堀の跡などが残っていて、そぞろに昔の激戦を偲ばせる所である(『日本城郭大系』)。

時間の都合上、見学を断念したが、堀跡等が残るという。付近に宗麟原供養塔がある。

 

  

 (【左写真】城址遠景【右写真】宗麟原供養塔(島津義久が戦死者を敵味方の区別なく弔うために建立)

 

  (2011年10月4日訪問)

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城と古戦場 

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