吹田城

吹田城(大阪府吹田市)は、吹田駅付近に存在したとされる城郭。

延元元年(1336)足利尊氏派の安芸国周防親家が、当城で合戦に及んだという記事が初見である(『吉川家文書』)。永享年間(1429-41)吹田重通が吹田城を本拠としていた(『摂津志』)。応仁の乱の後、吹田氏は東軍に属し、西軍と戦いを繰り広げたが(『応仁記』)、文明十四年(1482細川政元国人一揆制圧の最中、吹田重通は摂津国守護代・薬師寺元長に敗れ、吹田城は薬師寺元長の配するところとなった(『大条院寺社雑事記』)。大永六年(1526)八上・神尾山両城の合戦では、吹田城は伊丹衆に攻められ、吹田美童が討ち死したという(『足利季世記』)。
その後、吹田城に関する史料は見られないようであるが、織田信長によって戦火にまみえたと推察される。

吹田城の跡地は、現在でも議論され、どこにあったのか明確ではない(『日本城郭大系』)。

吹田駅付近、アサヒビール工場から片山公園辺りが跡地と言われているが、遺構も無く確証は得られない状況である。

(参考サイト:「ちえぞー城行こまい」)

 

 (アサヒビール工場

 

  (2012年2月11日訪問)

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城と古戦場 

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