都於郡城

都於郡城(とのこおり・★★★★ 宮崎県西都市都於郡町)

“春は花 秋は紅葉に帆をあげて 霧や霞に 浮舟の城”と古歌にもうたわれた都於郡城(標高100m)は建武二年(1335)工藤祐経の子孫、伊東祐重が築城しました。以来、天正五年(1577)までの242年間、伊東氏累代の居城として栄えました。

城は空濠や土塁をめぐらした中世の典型的な山城で、本丸を中心に五つの城郭(奥の城・二の丸・三の丸・西の丸・本丸)など七つの山城を構え、のちに佐土原城や宮崎城など日向一円に四十八の城を築きました。
天正遣欧少年使節の正使としてヨーロッパに渡った伊東満所(マンショ)もこの城で生まれています(『城址案内板』)。

城址公園として整備され、曲輪群をはじめ壮麗な遺構が残る。何時間でも見ていたくなる城跡である。

 

 

 

 (【左写真】本丸跡(伊東義祐の南方貿易の尽力の結果、多数の中国製陶磁片が出土された)【右写真】本丸空濠から二の丸を眺める)

 

 (【左写真】本丸から西ノ城を見る。【右写真】本丸~二の丸間の広大な空濠。)

 

 (【左写真】二の丸跡(五城郭の中で最も古い時期に築城)【右写真】二の丸土塁。)

 

 (【左写真】三の丸跡(三方断崖をなし、山麓には三財川が流れ自然の濠をなす)【右写真】三の丸からの眺望。)

 

 (【左写真】三の丸から西ノ城を眺める。【右写真】西ノ城跡(三の丸と同様に斥候(ものみ)の役割を果たす)

 

  (2011年10月5日訪問)

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城と古戦場 

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