総社城

総社城(★前橋市総社町植野)は、慶長六年(1601)蒼海城に封じられた秋元長朝が、父景朝の眠る地、利根川崖端と越後道街村との間に築城した平城である。

植野堰の開発と築城、城下町づくりを平行して実施、慶長十二年に完成した。

総郭南北780m、東西750mの同心円状の縄張りで、遠構えの西は天狗岩用水を大堀とし、各郭は濠と丸野づら積みの石垣で被覆されていた。
二の丸中央には遠見山古墳を利用した物見台があった(
『城址案内板』)。

寛永十年(1633)城主秋元泰朝が甲州谷村城(都留市)へ転封後廃城となった。本丸は利根川により崩壊、二の丸三の丸も住宅化し、旧状は堀跡の一部と物見台のみである(『城址案内板』)。

物見台跡の遠見山古墳が残る程度で、城址は宅地造成で消滅。城川公園に説明板と復元図がある(地図は城川公園を示す)。

 

 

 (【左写真】城址の一角とされる城川公園に説明板がある。【右写真】物見台跡とされる遠見山古墳。)

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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