上泉城

上泉城(かみいずみ・★★群馬県前橋市上泉町)は、大胡城の支城として築かれ、一族の「上泉氏」が在城していた。戦国時代の赤城南麓地帯は、その大半が大胡領と言われており、大胡領は「大胡氏」によって領有されていた。

城域は、東西600m、南北400mに達し、県指定の「郷蔵」付近に、本丸と二の丸の跡が残っている。また、西林寺付近は一の郭、玉泉寺付近は出丸跡と推定されている。

中世の末期、剣道史に名を残した上泉伊勢守信綱は、永正五年(1508)『上泉城』で生誕し、居城していたと伝えられている。信綱は、『新陰流』の祖で、日本剣道史上の最高峰として、また「剣聖」ともうたわれ、その名は広く知られている。 新陰流の理と技は、柳生但馬守宗厳(石舟斎)らに伝えられ、現在も脈々と生きている(『城址案内板』)。

その名の通り剣聖・上泉信綱生誕の城です。遺構はあまりありませんが、多くの出丸を構えた広大な城であったようです。本丸・二の丸跡が「上泉自治会館」の敷地となっており、本丸跡には江戸寛政期に非常時の食料の備蓄を目的に建立された「郷蔵」が残る。顕著な遺構はないが、何よりも剣聖・上泉信綱の生誕地として興味深い。

 

 

  (【左写真】本丸跡(江戸寛政期に建てられた「郷蔵」が残る)【右写真】二の丸跡(自治会館や上泉信綱の像などが建つ)

(出丸跡の玉泉寺)

 

  (2011年12月16日訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system