大胡城

大胡城(おおご・★★★群馬県前橋市河原浜町)は、南北に走る丘陵上にある平山城。

本丸を中心に二の丸を囲部的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平坦部が附加され、南北670m、東西最大幅310mの規模を持つ。枡形門、水ノ手門虎口、空濠、土塁等の跡が良く残っている。

中世上野の名族である「大胡氏」が拠ったと言われている。天正十八年(1590)徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。牧野氏は元和二年(1616)に越後長峰へ、そして長岡へと転封された。以後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏時代には城代が置かれたが、寛延二年(1749)酒井氏が姫路へ転封に際し、廃城となった(『城址案内板』)。

城跡は整備され、遺構も良好に残り見応え充分である。

 

  

  (【左写真】本丸跡(石垣等が随所に残る)【右写真】本丸を囲う土塁も一部残る。)

  

  (【左写真】本丸の深い空濠。【右写真】本丸から北城を眺める(現在は幼稚園となり、深い濠で遮られている)

  

  (【左写真】本丸からの眺望。【右写真】二の丸水ノ手門虎口(枡形になっており、奥が二の丸)

 

  (水ノ手門石垣) 

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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