山上城

山上城(★★ 群馬県桐生市新里町山上)は、赤城山南麓の低い舌状丘陵に築かれ、平端地の館が制高地に移行するようになった初期のものと思われる。

足利俊綱の弟高綱がここに住んで山上氏の祖となり、志田先生義広に味方して敗れた際、俊綱の子忠綱はこの地に数日潜伏したという。

弘治元年(1555)、北条氏康は、この城を奪って山上氏秀(道及)を下野国に追った。上杉輝虎(謙信)は、北条勢を追って大胡民部左衛門にこの城を預けたが、永禄の頃は由良成繁の持ち城となったようである。
天正二年(
1574)、輝虎はこの城を降し、羽生城の木戸忠朝(玄斎)らを引き取っている。輝虎死去後の天正八年二月、北条氏邦が山上城を攻めたが、攻略したか否かは判然としない。

北から北郭・本丸・二の丸・三の丸の順に並び、周囲に腰郭・帯郭を配し、西に空堀を隔てて帯郭が付く。この空堀は長さ400mの堀内道であって、赤城南麓の城の慣例を示す(『日本城郭大系』)。

山上城址公園として整備され、遺構も良好に残る。

 

 

(本丸城址碑。一段下の奥が北郭。)

 

  (【左写真】二の丸(本丸南に位置する)【右写真】三の丸(広大な公園となっている)

  

  (【左写真】北郭(本丸北に位置する)【右写真】空堀 )

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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