女淵城

女淵城(おなぶち・★★群馬県前橋市粕川町女淵)は戦国時代に赤城山南麓にあった城の一つ、要害に広く水濠を用いた平城である。

女淵城は、いつ、だれが城を築いたか詳しくわかっていないが、戦国時代から歴史上に出てくる。赤城山南麓地方の他の城と同じように、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷が多かった。

城跡は東西200m、南北450mの広い地域を占めている。主要部は南北320m、最大幅90mの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸、(御霊曲輪)、竜光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。本丸は東西40m、南北30mあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二ノ丸にはそれぞれ土橋で通じている。西曲輪は本丸の西側の広い水濠をへだててあり、堀をめぐらしている。その先に外濠があった。城の東側は河川が自然の水濠となっていた。

天正十八年(1590)小田原の北条方の城だったので、豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく、落城し廃城となった(『城址案内板』)。

城跡は公園となり整備されている。コンクリートで舗装されているが、水濠が随所に巡っている。

 

 

 

  (【左写真】本丸跡(城址碑と案内板がある)【右写真】本丸水濠(コンクリートで舗装されている…)

  

  (【左写真】二ノ丸(公園の駐車場及び背後の民家)【右写真】三の丸(御霊神社)

 

  (【左写真】三の丸に残る土塁。【右写真】三の丸空堀跡。)

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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