赤堀城

赤堀城(★★ 群馬県伊勢崎市赤堀今井町城)は、別名今井城とも言われ、粕川とその支流の鏑木川との自然地形を利用した箇所に築かれ、東西約170m、南北約350mの範囲を占める。

一辺約80mの本丸を中心とした部分には、土居、堀、戸口があり、他にも、二ノ丸、城域の外側には一小郭があったと考えられ、赤城山南麓に特徴的な本丸を囲郭式とした並郭城である。

赤堀城は藤原秀郷の末裔とされる赤堀氏の居城で、赤堀下野守親綱の時に由良氏の幕下となり、その子影秀までは赤堀城に在城した。その後、後北条氏幕下の小菅氏が在城したが、天正十八年後北条氏滅亡と共に赤堀城も廃城となった。
赤堀城跡は赤堀氏の居城とされているが、赤堀氏の活動の記録は少なく、不明な点が多い。そのため、赤堀城跡は、当時の赤堀氏の動向を知る重要な文化財である。なお、指定については、県道前橋赤堀線の北に位置する本丸を中心に定めたものである(『城址案内板』)。

本丸跡は畑となり、立派な土塁の一部が残る。

 

 

 

  (【左写真】本丸を囲む雄大な土塁。【右写真】城址案内板と土塁。)

 

  (2011年12月16日訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system