毒島城

毒島城跡(ぶすじま・★伊勢崎市赤堀今井町毒島)は多田山丘陵東側に位置し、周囲は水田に囲まれ、平面形は東西約150mの楕円形を呈している。古くは湿地に囲まれた島であったとされている。

毒島城跡の構造に関しては、中心の本郭とそれを囲む腰曲輪から成っており、戸口は西南面中央1箇所のみであり、攻撃性は低く、出城としての機能を有していたと推測される。
また、毒島城には次のような伝説がある。三浦河内守謙庭が毒島城を攻めた時、この沼には大蛇が住んでおり、なかなか攻められずにいた。そこで三浦河内守謙庭は7つの石臼で毒を作り沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれず西に脱出し、城はたちまち落ちたという。
毒島城は、赤城南麓の戦国時代を解明する重要な文化財であることから、町指定の文化財とした(『城址案内板』)。

インパクトのある城名ですが、遺構はあまりないようです。本丸は私有地となっているようで、撮影等は断念しました。

 

 

  (【左写真】城址遠景(水田に囲まれている)【右写真】案内板(奥が城跡で私有地となっている)

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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