伊勢崎陣屋

伊勢崎陣屋(★群馬県伊勢崎市曲輪町)は、伊勢崎市街地の西部広瀬川に西側を寄せて築かれていた。

この城の前身を赤石城と伝えているが、その場所は城の北側、窪地を隔てた同聚院からその西方の地域で、那波氏所属の赤石左衛門尉がそこに築城し、前橋市飯土井の赤石城から移ったのだという。
那波宗俊が弘治二年(
1556)、境に敗死して城は由良氏の手に入り、林高成が在城、永禄三年(1560)、上杉政虎(後の謙信)が占領して荻田備後守を置き、備後守が黒川谷・大胡の戦いに敗れてから由良氏の所属に復し、林高成が再び在城した。天正十二年(1584)、金山城が北条勢に攻められているのに乗じ、那波顕宗が占拠したが、まもなく北条氏に属し、小田原から大和晴親が派遣されて那波に在城、その支配下に入った。
天正十八年(
1590)、徳川家康が関東に入部してからは白井城主本多広孝の支配地となり、慶長二年(1597)、稲垣長茂が大胡の桶越からここに移った。稲垣氏が越後三条に転封されて、元和二年(1616)、赤石城は廃された。その後、厩橋城主酒井重忠の子忠世が伊勢崎領二万石を与えられて善養寺に陣屋を構えたが、伊勢崎陣屋の築かれたのは酒井忠寛の時である延宝九年(1681)という(『日本城郭大系』)。

市立北小学校が陣屋跡だが、遺構はない。付近の同聚院に陣屋門が残っているが、失念してしまった…。

 

  (市立北小学校が陣屋跡である。)

 

  (2011年12月16日訪問)

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城と古戦場 

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