金山城 西城

附 見附出丸

標高210m、比高160m。

金山西城(群馬県太田市金山)は、金山城主要部の一つで、本城より西の尾根伝いに位置する。

西城には、金山城主由良氏の一族である矢田堀領主・泉伊予守が居城していた。そのため、泉氏は西城殿とも呼ばれていた(『現地説明板』)。

西城からは、新田郡方面が見渡せるので、天正十二年(1584)の金山城攻防戦では、馬を引き出して米で水洗いの様をし、西南方面に塀を懸け囲らせて壁塗りをして、水が豊富にあるが如く見せた場所だという(『現地説明板』)。

その後、後北条氏の時代には、高山遠江守定重が在城したが、小田原の役で放棄され、そのまま廃城になったとされる(『日本城郭大系』)。

現在、金山城の駐車場になっている付近に西城があった。かなり磨耗・堆積しているが、曲輪、土塁、空堀が明確に残っている。また尾根筋の虎口は食い違いの堀切を配し、その壕は石垣で固めてある。ここは戦国時代の遺構だと思われ、高度な縄張りで貴重である。

西城からさらに西側に進むと馬の背の様な平場があり、土塁と堀切を設けた先端部に行く。ここは発掘調査により柵が設けられたと考えられている(『現地説明板』)。

この様に、金山城の西側尾根は比較的平坦な地形であることから、厳重な設備を置き防御したと思われる。その遺構が良好に残っているのは極めて喜ばしい。


  (跡地の航空写真)

 
(国土地理院発行の2万5千分1地形図


(現地概念図)

 

(【左写真】西城の曲輪。微高地もあり数段になっていた可能性も。【右写真】土塁跡。この先に堀切。)

 

(西城の虎口。空堀(堀切)と土塁による食い違いになっており、とても見事な遺構である。)

 

(【左写真】食い違いの空堀跡。【右写真】ここの土塁は石垣で固められている。)

 

見附出丸

 

(【左写真】西城の先の平場。かなり広い。【右写真】先端部。土塁があり、柵が設けられたという。)

 

(【左写真】空堀跡。ここから登るのはかなり急。【右写真】見附出丸の虎口。左右に空堀がある。)

(城址遠望)


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