大嶽城(おおづく・★★滋賀県長浜市小谷丁野町)は、小谷山の最高所の標高495mに位置している。

『長享年後畿内機内兵乱記』によると、大永五年(1525)には小谷城がすでに築城されており、小谷城が現在の本丸のある尾根ではなく、大嶽にあった事が知られる。大規模な砦で、遺構を見ると本丸・山王丸・福寿丸等の小谷城の遺構と比較して、土塁の造り方などが古い。
天正元年(1573)八月十三日、大嶽城は朝倉氏の援軍が守備していたが、大嶽の北にある焼尾丸を守っていた浅井氏家臣浅見対馬守が寝返り、織田勢を手引きして攻めたため落城した(『城址案内板』)。

小谷山最高所に位置しているが、眺望は悪く、一段下がった箇所に土塁跡が残る程度であった。ただ小谷城の重要拠点であったことは間違いない。

なぜ本丸近くのこの場所に朝倉軍が布陣していたのでしょうか。元々朝倉家と浅井家は従属関係にあったのでは、という説も頷けるような気がします。朝倉宗滴が布陣した金吾丸も大手道のど真ん中ですし。従属関係ではなくても、微妙で複雑な関係だったのでしょう。織田家と浅井家と同様に。

 

遠景(中央が小谷城本丸跡で、左側の最高峰が大嶽城)

  

  (【左写真】城址案内板 【右写真】土塁が残るが、藪化が激しい。) 

 

  (2012年5月26日訪問)

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城と古戦場 

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