脇坂屋敷

脇坂屋敷(★ 滋賀県長浜市小谷丁野町)

脇坂家の始祖・甚内安治は、天文二三年この地に生まれ、浅井長政の家臣・脇坂安明の養子となり、小谷落城後、羽柴秀吉に従し、賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としてその功績を認められ、徳川時代となって伊予国5万3千石の領主として寛永三年73歳で没した。
三代目安政より播州龍野城主として今日に至る(『現地案内板』)。

小谷山麓、初期小谷城大手道を登るとすぐに屋敷跡の平坦地があるものの明瞭な遺構は見当たらない。大嶽城から福寿丸~山崎丸に行こうとしたのですが迷子になり、偶然この屋敷跡に辿り着きました。
秀吉を支えた賤ヶ丘七本槍の1人だが、裏切りの武将として後世に汚名を残している。戦国武将としては当然の行動であり、家名を遺した功績は認められるが、現在の評価・扱いが彼の本意とは思えない。

 

屋敷跡の碑

脇坂安治生誕地の案内がある

 

  (2012年5月26日訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system