上坂氏館

上坂氏館(★★ 滋賀県長浜市西上坂町)は、戦国時代に京極氏・浅井氏の家臣であった上坂氏の館跡。

上坂氏は、室町時代から北近江守護・京極氏の有力家臣で、戦国時代には上坂家信・信光が出て、京極氏執権として湖北統治の実権を握った。さらに、伊賀守意信は浅井氏に仕え、天正元年(1573)の浅井氏滅亡後は、その子・正信が羽柴秀吉の弟・羽柴秀長の家臣として各地を転戦している。関ヶ原合戦の際、西軍となり敗れたことで帰農、正信は父意信の弟信濃守貞信から屋敷跡を受け取っている。上坂氏は江戸時代に至るまで、姉川から取水し北郷里地区を灌漑する「郷里井」の管理者として知られ、姉川上流や北岸の村々との争いに際しては、その代表者として臨んだ。館跡は土塁と堀に囲まれた複数の城館から成り、今も「いがんど」(伊賀守屋敷)や「しなんど」(信濃守屋敷)の地名や土塁の一部を残している。また、江戸時代の絵図(「上坂家文書」)にみえる「丸の内」の跡が、この児童遊園に当たるという(『現地案内板』)。

館跡は公園となっており、土塁が一部残るのみである。屋敷門や本丸橋が公園内に移築されている。

 

(城址碑と移築された本丸橋)

 

  (【左写真】公園内に僅かに残る土塁【右写真】移築された屋敷門(伊賀屋敷にあったもの)

 

  (2012年5月26日訪問)

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城と古戦場 

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