古処山城

古処山城(★ 福岡県朝倉市秋月野鳥)

石灰岩のこの山は、白山権現を祀ることからも、白山とも言われています。山頂には、9世紀頃から修験道の霊場が開かれ、13世紀の初めから約400年間は、領主秋月氏の山城がありました。大将隠しや奥の院、馬攻め場、水舟などに往時が偲ばれます(『登山道案内板』)

秋月氏の先祖は高祖山城の原田氏と同じく、藤原純友の乱で勇名を馳せた大蔵春実で、大蔵氏は漢の高祖の子孫で日本に帰化した阿知使主の後裔と伝わり、「由緒正しさ」は代々の誇りであった。そして天正六年(1578)、日向耳川で大友宗麟が島津軍に敗れてからの十年間、島津氏と連衡した秋月氏は全盛期を迎えた。一時は、十一郡三十六万石を領し、二十四城を支配していた。天正十五年、豊臣秀吉の九州征伐の時、秋月種実・種長父子は、岩石城を一日で落とされ、益富城での秀吉のトリック策「一夜城」に非常に驚き、名器「楢柴」と娘を献上して、秀吉に降伏した。楢柴は博多の商人・島井宗室の秘蔵していた茶入れで、天下の名器であった。『九州治乱記』には「命を助けられしは偏に楢柴の故なりとぞ人々申しける」と記述されている。以後、秋月氏は、秀吉によって日向財部へ移封された。
古所山城の遺構としては、古処山と隣りあう経ヶ峰と合わせて七十五本を数える竪堀と大きな三か所の堀切、大小十八か所の削平地が確認できる
(『日本城郭大系』)。

現在、九州自然歩道(秋月キャンプ場~6合目付近)は、平成24年7月の九州北部豪雨の影響により通行止めとなっている(期間 平成24年7月~未定)。国道322号から古処林道を通り、6合目から登山ができる。城跡としての遺構は確認できないが、「大将隠し」「水舟」等、戦国時代の山城としての名残がある。
ここも獣道とロッククライミングを強いられました。秀吉の九州征伐でこの城に籠もった秋月種実は剃髪して降伏しました。
名器・楢柴と娘を差し出して降伏し、下山したときの心情はいかほどだったのでしょうか。その土地の小豪族の哀話に旅情を誘われます。

 

 

  (【左写真】山頂にある祠(平坦地がなく、奇岩に覆われている)【右写真】山頂から険しい岩場を進むと「大将隠し」と呼ばれる隠し砦(巨石の隙間)がある。)

 

  (【左写真】山頂からの眺望【右写真】山頂付近は過酷なロッククライミングを強いられる。)

 

 (【左写真】奥の院(人が隠れられる岩の裂け目があり、冷気が吹き不気味…)【右写真】水舟(一日千人の兵を養っていたという湧水がある)

 

 (【左写真】集中豪雨により破壊された登山道【右写真】城址遠景)

 

  (2012年9月1日訪問)

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城と古戦場 

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