福嶽城

福嶽城(★ 福岡県朝倉市秋月)

戦国時代、秋月氏は古処の山険に本城を築き、麓に居館(現在の秋月城)を設け、領域の要所に二十四ヶの砦を構えて、攻防戦に備えたが、この上辺一帯を福嶽城と称し、福嶽美濃守の屋敷跡と伝えられる。世移り黒田藩となるや、徳川幕府によって一国一城制が敷かれ、かつての秋月氏居館を本城とし、此処の福嶽城は古処山城をはじめ、他の支城と共に取壊しの悲運を招いた。その後、鐘を用い、城下に時刻を告げたので、時櫓、或いは鐘山とも言った(『城址案内板』)。

秋月城のすぐ近くにあり、秋月の町並みや遠くは古処山を眺望することができる。古処山麓の秋月の町並みを散策しながら訪れました。近くに秀吉が九州征伐の際に腰掛けたという岩がありました。当時はこの小さな山里を無数の大軍で埋め尽くしたのでしょう。

 

 

  (【左写真】城址に建つ宮地嶽神社【右写真】城址付近にある太閤石(秀吉が古処山攻めの際にこの石に腰を掛けたという言伝えが残る)

 

  (【左写真】城址から秋月の城下を眺望(左奥には古処の山並みが見える)【右写真】城址遠景)

 

  (2012年9月1日訪問)

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城と古戦場 

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