太閤ヶ平

太閤ヶ平(★★★ 鳥取県鳥取市帝釈山)

全国統一を目指す織田信長は、中国地方に勢力をもつ毛利氏と対立を深めて行き、天正八~九年(158081)の2度、羽柴秀吉を総大将として鳥取に侵攻し、毛利方の拠点であった鳥取城(久松山頂)を攻めました。この地に築かれた秀吉本陣は、高低差4m以上の土塁と空堀に囲まれ、内寸58m、櫓台も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしています。また、周囲のあらゆる尾根陣城を配置し、鳥取城に対する強大な包囲網を敷いています。本陣及び陣城群は一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣でもあった可能性が指摘されています(『城址案内板』)。

樗谿神社から4050分の登山を経ると陣跡に辿り着く。周囲は木々が立ち並び見通しは悪いが、土塁や堀跡など遺構が明瞭に残る。

 

 

 (【左写真】本丸跡【右写真】本丸土塁)

 

 (【左写真】鳥取城本丸から眺める太閤ヶ平【右写真】虎口)

 

 (【左写真】空濠跡【右写真】空堀跡)

 

  (2012年9月23日訪問)

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城と古戦場 

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