黒坂鏡山城

黒坂鏡山城(★★ 鳥取県日野郡日野町黒坂)

伯耆国米子藩主中村一忠は伯耆一国十七万石五千石を領していたが、慶長十四年(1609)、五月十一日、わずか二十歳で没し、無嗣絶家のため除封となり、翌年、伊勢国亀山三万石の藩主関一政が二万石を加増され、旧領と合わせて五万石となって日野郡黒坂の生山城を居城として立藩した。一政は入封と同時に、生山城が不便であったため、黒坂鏡山に築城するとともに城下町も建設した。
だが、池田光政が鳥取藩主となって因伯を統治するようになると、元和四年(
1618)、一政は家中不統一が原因で除封となり、廃藩となった。のち、この地は池田氏鳥取藩領となり、鳥取藩の重臣福田氏が三千五百石を領して黒坂陣屋を構え、幕末まで支配した。

現在、奥深い日野路の城下町には、関氏の造った黒坂七町と呼ばれる南北三筋、東西五筋の長方形の町割が往時のまま残っている(『藩と城下町の事典』)。

城跡南の光明寺に登城口があり、居館跡の削平地に辿り着く。山上にも遺構があるようだが、雑草が生い茂り、登城口を発見できなかった。説明板もなく、石垣も崩落している箇所があるため、保存整備を望む。

 

  

 (【左写真】居館跡の削平地【右写真】居館跡の石垣(一部崩落した箇所がある)

 

 (【左写真】枡形虎口の石垣【右写真】黒坂の町並み(古い町並みが碁盤の目状に広がる)

 

  (2012年9月25日訪問)

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城と古戦場 

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