馬ノ山の対陣

馬ノ山の対陣(★ 鳥取県東伯郡湯梨浜町大字上橋津)は羽柴秀吉軍と対戦するために吉川元春が陣取った所である。

秀吉は天正九年(1581)十月二十五日に鳥取城を陥落させ、ついで羽衣石城の南条元続救済のため伯耆に進出し御冠山に布陣して馬ノ山の元春軍と対峙した。秀吉軍の兵力は六万、迎え撃つ元春軍は六千あったが大軍を迎えても動ぜず、橋津川の橋をことごとく落とし、備えていた数百の舟はすべて陸上に引き上げ櫓は残らず折り捨てて背水の陣を敷いた。秀吉は元春の覚悟のほどを知り、戦わずして軍を引き上げ、元春軍も馬ノ山を開陣し、出雲に引き上げたという。秀吉・元春の両雄は互いにその器量を認め合い戦わずしてわかれたのである。もし戦っていたとすれば、その後の日本の歴史は変わったものとなるかもしれない(『城址案内板』)。

山頂付近には橋津古墳群が連なり、一段降りた場所に土塁跡があるというが失念してしまった。しかし古墳群も対陣の一部として利用したことであろう。

 

 

 (馬ノ山遠景)

 (山頂には橋津古墳群が連なる)

(陣跡からの眺望)

 

  (2012年9月25日訪問)

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城と古戦場 

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