打吹城

打吹城(★★ 鳥取県倉吉市打吹山)は、室町時代の初め頃に伯耆守護山名氏によって築城されたと伝えられています。

戦国時代の終わり頃、羽衣石城主(湯梨町)南条氏が支配する城となり、一族や家臣が城番として派遣されました。
尾根を削って平坦地(曲輪)を造り、建物や柵が設けられていました。備前丸の他にも、越中丸や小鴨丸と呼ばれる曲輪跡が打吹山には多数残っています。
その後は米子城主・中村一忠が支配する城となりましたが、元和元年(
1615)に取り壊されました(『城址案内板』)。

城跡は打吹公園となっており、遺構はある程度残存している。倉吉の町並みが素晴らしい。

 

  

  (【左写真】主郭部【右写真】主郭部の櫓(天守)台跡(石垣が僅かに残る)

 

  (【左写真】備前丸(南条備前守が居住した)【右写真】山麓の備前屋敷跡(現在は鎮霊神社となっている)

 (城址(打吹山)遠景)

 

  (2012年9月25日訪問)

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城と古戦場 

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