四日市陣屋

四日市陣屋(★ 三重県四日市市北町)

四日市町は江戸時代、享保九年(1724)~享和元年(1801)の大和郡山藩領時代を除き、天領(幕府領)であった。便宜上、享保九年以前を第一次天領時代、享和元年以降を第二次天領時代という。慶長八年(1603)幕臣水谷九左衛門光勝が竪町の東側に代官所を築き、幕府領支配の拠点とした。代官所は江戸時代を通じ、この地を移動することはなかった。 第一次天領時代は、九左衛門を初代として二十四代の代官が任命されている。大和郡山藩領時代にも、やはり付近の藩領を支配するためここに代官が派遣された。第二次天領時代になると、信楽代官多羅尾氏の支配を受けて、出張陣屋が置かれた。多羅尾氏は千五百石の旗本で、代々信楽代官を勤めたが、四日市陣屋へは手付・手代を派遣をして支配にあたらせた。手付・手代の数は、天保十年(1839)には信楽詰二十人、江戸詰九人、四日市詰四人であった。陣屋の建物自身には時期によって変更があったようであるが、詳細は不明である。陣屋の建物は明治維新後、度会県支所、安濃津県支庁さらに三重県庁となったが、明治九年(1876)の伊勢暴動の際にすべて焼失した(『現地案内板』)。

陣屋跡は中部西小学校となっていて、遺構はない。正門脇に案内坂がある。

 

 

  (陣屋跡の中部西小学校)

  (2013年2月9日訪問)

 

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