楠城

楠城(くすじょう・★三重県四日市市楠町本郷)は、もと楠山城と称し伊勢国司北畠顕泰が正平二十四年(1369)に築城、命じて諏訪十郎正信に拠らしめた。

ここは中島四郷のうち本郷風呂屋往時、”名草の浦”とも呼び、
  
浦つたふ朝も名草の浜千鳥
        夕汐みちて空になくなり

とあり(『千載集』)、「東は海に他の三方は高岡川、内部川南部川の三川に囲まれ、中島の称の如く平地に城を築くに、最適の要害の地」(『南山遺響』)であった。

諏訪氏三代の後、楠氏一族が城を継ぐが天正十二年(1584)秀吉の覇力に抗して落城した。城主八代二百十有余年の間には、多くの忠誠勇武の士が壮烈に戦ったと伝えられる。哀史を伝えて「松樹一株を存したりしが明治四十年伐採して、樟一本を植え付けたり」と記録されている。ここに郷党とともに往時を偲ぶ次第である(『城址案内板』)。

遺構は無いが、大樹の傍らに碑と案内板が建つ。

 

 

  (大樹の傍に建つ城址碑)

  (2013年2月9日訪問)

 

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城と古戦場 

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