峯城

峯城(★★三重県亀山市川崎町森)は、安楽川と八島川に挟まれた標高85m程度の丘陵上に位置する山城で、正平年間(134670)に関盛忠の五男峯政実が築城したと伝えられる。
以後峯氏六代の居城であったが、天正二年(
1574)、峯八郎四郎が伊勢長島で討死したため峯氏は滅亡した。その後は岡本宗憲が城主になったとされるが、天正十一年(1583)羽柴秀吉の北伊勢侵攻、翌十二年小牧長久手の戦いの前哨戦により二度の争奪戦が繰り広げられた。天正十八年(1590)岡本宗憲が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。

中心郭の北・西・東側には高い土塁が廻り、一段高い土壇は天守台と伝えられる。伝天守台は石積みの痕跡が見られ周辺には瓦が散布している事から、石垣を持ち瓦葺きの建物が存在したと考えられる。中心郭の北にはいわゆる虎口も見られ、室町末期から安土桃山時代にかけての城郭の姿が良好に遺されており、中世城郭から近世城郭への過渡期の状況が窺える全国的にも希少な例である(『城址案内板』)。

城跡は水田に囲まれた丘陵上にあり、本丸跡や天守台跡が残る。国道306号を八島橋東詰で西に進むと、右手に城址と案内坂が見える。

 

  

本丸(伝)天守台跡

本丸曲輪跡

城址遠景

  (2013年2月9日訪問)

 

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城と古戦場 

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