草生城

草生城(くさわ・★★ 三重県津市安濃町草生)は、経ヶ峰東麓の標高130mの丘陵端部に築城された城跡で、東西に250m、北90mの規模を誇っています。

正確な築城年代は解りませんが、恐らく戦国時代に築城されたものと推測されます。城主は国人領主長野氏一族の草生氏です。
城の構造は、堀と土塁で屋敷地(郭)を形成しています。北西部の幅広い堀に囲まれた一段高い地を主郭とし、その北西角には、櫓跡が残っています。主郭の西には四つの郭が連なり、主郭の南側には、広い郭が形成されています。また、郭の北西には、出丸状の郭も見られます。草生氏は、南北朝時代に長野氏五代豊藤のころに分家したといわれていますが、詳細は不明です。『勢州軍記』には、家所・細野・分部の各家と共に「長野の与力」として「侍三百人、内馬上五十騎、小人二百人、合五百之大将」と記されています。
安濃津城が落城した際に、草生氏も織田信長の配下になったと言われています(『城址案内板』)。

城跡は県道脇の山林となっており、空堀、土塁等の遺構が明瞭に残る。県道28号沿いに案内坂があるので、そこから山林に入ると城跡に辿り着く。

 

 

主郭に残る土塁

ニの郭

空堀跡

  (2013年2月9日訪問)

 

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城と古戦場 

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