栢間城

栢間城(かやま★埼玉県久喜市菖蒲町下栢間字沼尻・鳩井氏館とも)は、菖蒲町の平野に存在したとされる。

栢間村の東側の“沼尻”に存在し、少なくとも、康暦三年(1381)から永禄十三年(1570)までは、当地の土豪・鳩井一族が居した(『正法院熊野社棟札』『笠原村文書』)。
また伝承によれば、鳩井家没落後は、成田氏の家臣・鴨田筑後、鴨田肥後守が城主となり、江戸期も一族は村に残り、鴨田左次右衛門という人物の名前も伝わっている。
しかしながら、すでに江戸時代には畑となって、昔の境界は判別できなくなっていたという(『新編武蔵風土記稿』『武蔵志』)。

県道12号線「弁天沼交差点」の南側に「沼尻」という地名が残っている。遺構などはまったく見出すことができない。

 

 

 (弁天沼交差点付近には全く面影は見られない。)

  (2014年8月5日訪問)

 

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城と古戦場 

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