阿川氏屋敷

阿川氏屋敷(阿川氏館とも★埼玉県八潮市八條)

日本城郭大系』の巻末一覧に「阿川掃部助盛康は大内氏に仕えた。その子孫三郎兵衛康久は関東に来て、岩槻城主の北条氏に仕え、天正十八年岩槻落城後、八条に土着する。古文書十一通を所蔵する。」と記されている。

戦国末期の創設とされる(『埼玉の中世城館跡』)。

中川沿いに位置しており、宅地・畑、自然堤防となっている。八條殿社古墳とその周辺地とされ、畑の水路が見られるが遺構かは不明。

八條殿社古墳は古代の塚で、かつて整理した際に、塚の上から石室(石槨)が出てきたという(『新編武蔵風土記稿』)。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 

 (八條殿社古墳

  (2015年1月13日訪問)

 

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城と古戦場 

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