石井氏屋敷

石井氏屋敷(★埼玉県八潮市中馬場)

戦国時代に創建された石井氏の屋敷跡といい、「トウカンヤマ」という地名が残っている(『埼玉の中世城館跡』)。

八潮市の「馬場」は、天平年間(729-748)八條大納言という公家が流罪にあって土着した地で、この大納言は馬術に優れ、それを慕って諸国の武士が修行に訪れに来た。このため馬場を上・中・下の三箇所に設けたといい、中馬場は「中の馬場」であったとされる(『八潮市史』)。

中馬場石井家には安永四年(1775)再板の『諏訪大明神略縁起』という縁起書が所蔵されており、それによると「信濃国の高梨監物仲光が国乱を避けて落居した地」と記される(『八潮市史』)。

江戸時代、八條領中馬場村の地は、幕府の幸田氏が領治した。幸田一族は、150石の旗本で、寛永四年(1627)から慶応四年(1868)まで中馬場の領主であった。妙光寺には幸田氏の墓地があって、ここを葬地としたのは宝暦八年(1758)頃、幸田親盈以降といわれる(『八潮市史』)。
中馬場石井家は幸田氏の配下で、平姓三浦氏流と称し、桓武天皇より出、祖先は相模国三浦郡衣笠城主・三浦大輔義昭の孫である鎌倉郡松ヶ谷の地頭・石井藤五郎長勝だという。一族は鎌倉幕府滅亡で四散し、元弘三年(1333)秋に当地に土着した。慶長年間の検地で一族の財産は一切御取上げになったが、子孫は代々名主を勤めたとされる(『妙光寺誌』『
埼玉苗字辞典』)。

現在は住宅地となって、遺構らしきものは確認できない。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 (埼玉県八潮市中馬場。住宅地となっている。)

  (2015年1月13日訪問)

 

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