浜野氏屋敷

浜野氏屋敷(★埼玉県八潮市中央3丁目(上馬場))

戦国末期に創建された屋敷跡で、「上馬場屋敷」ともいい、宅地、自然堤防となっている(『埼玉の中世城館跡』)。

馬場浜野氏の初代は浜野忠秀(1549-1635)で、岩槻太田氏の家臣と伝え、岩槻より落居して馬場を開発した。浜野家(馬場の家)は現在も永続されており、「馬場開発」が屋号となっている(『八潮市史』)。

浜野忠秀は学問を好んでいたことから「大学」を名乗った(『家系歴世巻』)。

父・浜野清忠は太田資正に与して流浪の身となり岩槻城奪還の機会を狙っていたが、忠秀は日夜の合戦を嫌って元亀元年(1570)ここに帰農し、綾瀬川背後の湿地を開発し、農業に専念したという。
忠秀が帰農した同年、両親が亡くなったが、馬場の地には寺院が無く、自分の屋敷内の「竹山」に埋葬し、これが「鶏鳩塚」として浜野氏に現存している。
寛永十二年(
1635)の88歳の世寿の折、彼が愛用した武具類を足立区の応現寺に納め、同年逝去した(『家系歴世巻』『八潮市史』)。

「鶏鳩塚」が残っており、説明板も設置されているが、浜野氏の敷地内であり容易には見学できない状況になっているのが残念である。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 (鶏鳩塚が残っているが、民家敷地内であったので見学は遠慮した。)

  (2015年1月13日訪問)

 

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