後谷会田氏館

後谷会田氏館(南後谷堤防とも★埼玉県八潮市大字南後谷)

戦国末期に創建された屋敷跡で、宅地、自然堤防から成り、堀が残存したという(『埼玉の中世城館跡』)。

後谷会田氏は鉢形城主・北条氏邦の家臣であった会田出羽家の一族とされ、もと越谷に住んでいたが、当地の名主を代々勤めた(『新編武蔵風土記稿』)。

後谷村の名主は二人制で、近世初頭から中期にかけては、小櫃氏と会田氏が勤めた(『八潮市史』)。

会田氏の祖先は信州・海野重道の一族で、海野幸持が会田郷に住し、代々小笠原氏に仕え、会田幸久は小笠原長時の家臣であった(『寛政重修諸家譜』)。
小笠原氏が没落すると会田幸久は子の資清とともに岩槻城太田三楽斎資正に仕え天正十七年(
1589)没して越谷天岳寺に葬られた。太田氏没落後は越谷に隠棲したという。後谷会田氏は越谷会田氏の一族とされているが、どのような関係であったのかは詳らかにすることができない(『新編武蔵風土記稿』『八潮市史』)。

八潮市大字南後谷は住宅地となっており明瞭な遺構は確認できない。水路が掘りの名残りではないかとも云われる。近くの西福寺には会田氏の墓域があって、樹齢500年のタブノキがある。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 

 

 (【左写真】西福寺。付近には今でも多くの子孫の方が住まわれているようだ。【右写真】南後谷は住宅地となっている。

  (2015年1月13日訪問)

 

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