石川氏屋敷
石川氏屋敷(★★埼玉県春日部市金崎) 『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期に創建された屋敷で、現在は宅地・自然堤防から成り、堀の一部が残存している。 石川氏は別称大井石川といい、元来大井氏で松伏の石川民部の家臣であって、養子縁組して分家し、家紋も二つあるという。石川氏が当地へいつ入ったのかは不明だが、延宝六年(1678)の検地帳が残っている。石川民部家は豊臣秀吉の家臣で天正年間に松伏に移住し、江戸川開削に伴い庄内領の新田開発を行った(酒井清治氏『埼玉の中世城館跡』)。 石川家の屋敷は掘の内側で東西87m、南北75mで、幅約5.5mの掘がめぐるものの一部埋められている。堀の内側には堀から離れて低い土塁がめぐるが三箇所で途切れている。堀の周囲にも低い田が見られるが屋敷との関連は不明である。廃屋となった母屋は延宝六年(1678)建築という(酒井清治氏『埼玉の中世城館跡』)。 跡地は田園地帯に残っており、大きな屋敷林を構えた子孫の邸宅となっている。堀が四周しており比較的良く残っている。林の中にも土塁などの遺構がそのままに残されているのだろう、貴重な史跡である。 (参考サイト『儀一の城館旅』『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(【左写真】『埼玉の中世城館跡』に掲載されている概念図。【右写真】屋敷の遠望。)
(【左写真】堀が良好に残されている。【右写真】北西の隅には土橋があるが、近年の所産であろうか?)
(2015年1月20日訪問)