関口氏屋敷

関口氏屋敷(★★埼玉県北葛飾郡杉戸町深輪387

『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期創建の屋敷で、現在は宅地・自然堤防から成り、堀ほぼ全周が残存している。

後北条氏や古河公方有力家臣層の家来であった領主・土豪の居館とみられ、周囲を堀で囲み、その内側に土塁を築く典型的な方形の居館跡である(『杉戸町史』)。

関口氏の始祖は今川源五郎氏貞の次男・関口氏広とされ、桶狭間合戦に敗れて関東に移ったという(『関口緒家系図』)。深輪村は正保年間に開墾され、慶安の頃に深輪新田と称されたという(『武蔵国郡村誌』)。

もともと南北に長い長方形の屋敷で四周する堀が巡っていたが(『文政二己卯年屋舗家絵図』)、その後この屋敷は縮小されたものの、北西と南東の隅は変わらず、現在、堀幅は広いところで約6m、深さ1.5mを測る(『埼玉の中世城館跡』)。

子孫が屋敷を守っており、堀が良く残っている。(北側の堀は道路拡張で消滅した)貴重な中世屋敷跡である。

(参考サイト『儀一の城館旅』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

  

 (『埼玉の中世城館跡』に掲載されている概念図)

 

 (【左写真】屋敷の遠望。典型的な中世土豪の屋敷である。【右写真】堀が良く残っている。内側には土塁も巡る。

 

 (【左写真】現在の屋敷の正面付近。【右写真】同じく。今では二重堀の様な感じになっている。

  (2015年1月20日訪問)

 

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