新井氏屋敷

新井氏屋敷(★埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野1421

『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期創建の屋敷で、現在は宅地・自然堤防から成り、所在地を下高野1421に特定している。

在地領主の居館と推定されるが、現在遺構は確認できない(『杉戸町史』)。

『新編武蔵風土記稿』によれば、新井伊勢守源貞はもと後北条氏家臣で、幸手一色氏に従っていたが一色氏没落で当村に土着した。江戸時代の幸手宿名主の右馬之助も一族だというが正当な系図は早くに失ったという。

『新井家系図』には、上州荒井に住した荒井五郎貞家という人物は伊勢新九郎長氏(北条早雲)に仕え、子の貞時も北条氏康の寵愛を受けた。だが次の源貞は讒言によって主家を退転、次男の右馬之助とともに流浪し鴻巣勝願寺に入道したが、一色直勝に誘われて還俗して家臣となった。一色直勝・直朝の二代に仕え慶長二年に直朝が逝去すると剃髪して高野に隠遁したという。慶長十二年没。その嫡男・源崇は父と別れて3年間諸国武者の修業をしていたが、父が一色家に召し出されると参上して一色直朝の近侍となった。一色氏と関ケ原合戦に加わり首級三級の武功を果たすものの、一色次郎照忠に従って大坂の陣に出馬し討死。次の源信は高野村に土着したと記されている。

現在地は、高野城があったと推定される天神社と一色氏が建立した全長寺の東側だが、住宅地・耕作地となって面影は見られない。

(参考サイト『儀一の城館旅』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

(新井家所蔵の「伝・新井伊勢守肖像」。幸手市教育委員会編『幸手一色氏』より。)

  

 (住宅地・耕作地となって面影は見られない。

  (2015年1月20日訪問)

 

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system