深井氏館

深井氏屋敷(★埼玉県吉川市高久1丁目)

『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期創建の屋敷で、現在は宅地・自然堤防から成り、所在地を「中曽根西方根」としている。

『新編武蔵風土記稿』によれば、深井氏の祖先は山内上杉氏の老臣長尾左衛門尉景春入道意玄の男小四郎景忠の子六郎次郎景孝で、足立郡深井村に出生して在名を氏とした。子の深井対馬守景吉は岩槻城主太田氏資に属した。深井氏は天正十八年、当所に移って新田を開き、慶長年間に多くの地を開墾したという。その後、江戸時代まで少なくとも十一代は存続した。

深井氏は当地に多く存する古代以来の居住者で、現在でも子孫が現存している(『埼玉苗字辞典』)。

中川の左岸で、昔から土豪が多く住んでいた地域である。密厳院には深井氏一族の墓所があり、付近に屋敷があった可能性がある。また南側の中曽根にも屋敷があったとの伝承があるらしく、宗眼寺や香取神社が見られるものの、場所を特定することはできない。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 

 (【左写真】密厳院。深井氏の墓所がある。説明板にある深井六郎次郎景孝の墓は発見できなかった。【右写真】大イチョウ

 

 (【左写真】中曽根の宗眼寺。【右写真】宗眼寺の鬼門方向にある香取神社。)

 

  (2015年1月21日訪問)

 

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城と古戦場 

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