平本氏館

平本氏屋敷(★埼玉県吉川市三輪野江)

『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期創建の屋敷で、現在は宅地・畑・自然堤防から成り、遺構は無く、所在地を「三輪野江」としている。

『新編武蔵風土記稿』によれば、平本氏の先祖は、高城定景の次男田島刑部少輔時定で小金大谷口城主高木定胤に仕えたが、天正十八年、秀吉小田原攻めで山中城にて戦死。当時三歳だった子定久は、母によって下総州貝塚村に潜居し、成人の後主膳定久と称し、十八歳の時に当村に来て、伊奈氏に属して村内を開発、土着した。その後平本定勝という人物の子・定智が定勝寺を開基したという。

近年まで平本家は三戸が現存したという(『埼玉苗字辞典』)。

定勝寺は現在でも残っており、村を代表する大寺院である。平本氏の屋敷跡は明確ではないが、近くの田園地帯の中に屋敷林を構えたお宅があり、その可能性が推察されている。

(参考サイト『儀一の城館旅』『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 

 (【左写真】定勝寺。平本氏ゆかりの寺である。【右写真】仁王門。

(銅鐘。1669年製作で寺の縁起が彫られている。)

 

  (2015年1月21日訪問)

 

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