下河辺行光館

下河辺行光館(★埼玉県北葛飾郡松伏町下赤岩)

『埼玉の中世城館跡』によれば、創建年代不詳の館で、所在地は不明、越谷市と隣接する「赤岩」を推定地としている。

中世期の松伏町は下河辺(しもこうべ)荘に属し、古利根川が武蔵国と下総国の境界となっていた。下河辺は久安二年(1146)に地名として初見され、『吾妻鏡』仁治二年(1241)の条には、下河辺行光が幼少から太田・下河辺などの田畔に住んだと記す(『松伏町史』)。

なお、鎌倉幕府御家人大河戸氏は、下河辺荘に隣接する「大河戸御厨」(おおかわどみくりゃ)と呼ばれた三重県伊勢神宮の領地を管理し、松伏町を開発した武士。この御厨は草加・越谷・八潮・松伏の広大な地域だとされる。
鎌倉時代13世紀中頃からは、鎌倉幕府執権北条氏の一門・金沢氏の所領となり、上赤岩、下赤岩地区周辺は赤岩郷として称名寺(横浜市)に寄進された(『松伏町史』)。

上・下赤岩は古利根川に面した要衝の地である。下河辺行光館の場所を推定する手掛かりは無い。下赤岩には「屋敷附」という字名があるが、いつの時代に由来するのかも不明である。

(参考サイト『儀一の城館旅』)

 

 (下赤岩の香取神社。付近に「屋敷附」との地名が残るが下河辺行光館との関連は不明。

  (2015年1月21日訪問)

 

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