登戸遺跡

登戸遺跡(★埼玉県北葛飾郡松伏町築比地番匠)

『埼玉の中世城館跡』によれば、創建年代不詳で、宅地・畑、台地から成り、所在地を築比地番匠520に特定している。

『登戸遺跡Ⅲ』(松伏町教育委員会2005年)によれば、これまで3回の発掘調査が行われて、貝塚や縄文土器片が出土しており、谷筋に入り組んだ海に面していたという。縄文時代前期の集落の存在も推測される。

大正大学の北側の丘陵地帯で、埼玉筑波病院辺りが跡地である。

この遺跡が『埼玉の中世城館跡』になぜ城館跡として掲載されているのかは不明である。
付近には「馬場」「番匠」の字名が伝わっているが、
鎌倉時代13世紀中頃から所領とした鎌倉幕府執権北条氏の一門・金沢氏の館に由来する地名なのかも知れない。

 

埼玉筑波病院辺りが跡地である。)

 (『登戸遺跡Ⅲ』(松伏町教育委員会2005年)掲載の発掘調査場所地図

  (2015年1月21日訪問)

 

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