加藤氏屋敷

加藤氏屋敷(伊兵衛屋敷とも★埼玉県三郷市戸ヶ崎)

『埼玉の中世城館跡』によれば、戦国末期の創建の屋敷で、宅地、自然堤防から成り、所在地を戸ケ崎2220-1に特定している。

日本城郭大系』の巻末一覧に「加藤内匠、天正・慶長以来、名主役を勤める。」と記されている。

『新編武蔵風土記稿』には、加藤氏は江戸時代にも続いた名主で、祖先は加藤内匠である。慶長十一年(1606)、東照宮御放鷹の時、内匠が家御膳所となって、上意があって当所畑五段を屋敷分として賜られ、伊奈忠次が与えた証文が残っている。内匠には苗字帯刀をも許され、寛永二年正月十四日に没した。と記されている。

その証文は『三郷市史』に掲載されているが、戸ヶ崎の郷で、年々、見事な畑の開発を申し付けていることについて屋敷分として畠五反を下されたが、以後も油断なく畠を荒らさないように命令するものである。

こうした名主の「申付」によって土地の開発に従事した人々は、他所から移住してきた者が多く、「牢人」だった武士が土着してその中核になったとされる(『三郷市史』)。

現在でも子孫の方が住まわれているが、開発が進んで確かな遺構は見られなかった。

(参考サイト『犬と武士』『帝國博物学協会城郭研究部』)

 

 

 (【左写真】加藤氏屋敷跡。民家となっている。堀跡とされる場所。【右写真】祠が祀られている。)

  (2015年2月2日訪問)

 

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