下河辺行平館

下河辺行平館(しもこうべ★埼玉県春日部市赤崎)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、鎌倉時代の館で、場所を庄和町赤崎とするが所在地を特定せず、現況も不明だとする。

『埼玉の中世城館跡』(第1版・昭和43年)では、この館の比定地を「庄和町河辺」とし、さらに「松伏村松伏領」にも下河辺行平居館があって、出典を『吾妻鏡』『埼玉県史3』とする。

下河辺行平は、藤原秀郷の子孫とされ(『尊卑分脈』)、平安鎌倉時代源頼朝の近臣で、弓の名手であり、頼朝より「日本無双の弓取」と称賛されたという。治承四年(1180下河辺庄の荘司職安堵された(『吾妻鏡』)。

『新編武蔵風土記稿』には「利根川付の地は、すべて本田方と唱へ大抵下河辺庄に属す。江戸川付の地は、すべて新田方と唱へ風早庄と号す」とあり、下河辺庄は、茨城県古河市、総和町、五霞町、埼玉県栗橋町、幸手市、春日部市、庄和町、松伏町、吉川町、三郷市、千葉県野田市などを含む広大な荘園だった。

ちなみに行平の館は、古河城の地にもあったとされる(『永享記』『中古治乱記』)。

春日部市赤崎は魚沼氏館と隣接する地だが田園となって居館の特定はできない。

 

春日部市赤崎の地。)

  (2015年2月25日訪問)

 

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