大川図書屋敷

大川図書屋敷(★埼玉県草加市住吉)

大川図書(?~1619)は草加宿開拓者の一人で、かつては土本氏を名乗る武士であり、小田原北条氏に仕えていたが、天正十八年(1590)年小田原落城によって浪人となった。一時期、岩槻に落ちていたが、徳川家康の天下統一後、朋友の伊奈備前守の計らいにより草加の地に土着したという(『草加宿由来』『草加市史』)。

新田の開拓、農業の奨励、寺院の建立などの功績が大きく、東福寺を建立し墓所がある(『草加市史』)。

大川家は、大川図書の直系である大川本家(打出大川家)と図書弟の系列の中大川家、その息子の系列の下大川家があった。大川本家が代々の草加宿本陣を務めていた(『草加歴史民俗資料館資料』)。

大川図書屋敷は現在の草加小学校辺り(草加宿本陣の裏手)に近年まであったが、今は開発されて遺構は残っていない。土手(「外山・とやま」)を構える屋敷だった。

一方、中大川家は明治天皇の宿所となった豪家だったが、こちらも開発されて面影はない。

 

 

 (【左写真】『松江町の歴史』掲載の屋敷図。【右写真】草加歴史民俗資料館の模型。「外山」という土手がある。

(大川本陣跡の石碑)

 

 (【左写真】本陣・屋敷跡の表示がある。【右写真】大川本陣はすでにマンションとなって消滅している。

 

 (【左写真】本陣裏の屋敷があった場所。「外山」の辺り。遺構は無い。【右写真】草加小学校。屋敷の一部であった。

 

 (【左写真】草加歴史民俗資料館にある弁財天石碑。もと大川屋敷内にあった。【右写真】弘安六年(1283)年号の板碑。大川図書が小田原落城の際に背負って来たという。草加歴史民俗資料館にある。

 

 (【左写真】大川図書建立という東福寺。【右写真】東福寺の墓所。

 

 (【左写真】大川図書の弟の中大川家跡。明治天皇を迎えた。【右写真】すでにマンションになって面影は無い。

  (2015年2月17日、5月1日訪問)

 

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