服部氏館

服部氏館(旗本服部氏陣屋、百間陣屋★埼玉県南埼玉郡宮代町字西原

服部氏の祖先は伊賀国服部(三重県上野市)の住人で、永禄三年(1560)徳川家康に仕えたという。
服部政光は、天正十八年(
1590)の小田原の役では本田忠勝配下として参陣して御使番を勤め、慶長五年(1600)の上杉景勝征伐、元和元年迄(1614-15)の大坂の夏・冬の陣にも参加し、同年京都で没している(『寛政重修諸家譜』『宮代町史』)。

その子・服部権太夫政信も各地を転戦し、江戸代官町に屋敷を構え、旗本として当地にも館を持った。しかし、服部氏の宮代町での支配を知る文書は残されていないという(『寛政重修諸家譜』『宮代町史』)。

『新編武蔵風土記稿』には「村内に権太夫の屋敷跡があった」と記され、その後、明治時代までその伝承が残っていた(『百間史料』)。

伝承では青林寺付近に陣屋があり、平成十二年の発掘調査で屋敷に関わると推定される遺構が検出されている。それまでの鈴木氏の本拠地・百間東地区から、徳川時代には同所が村郷の中心地になったと考えられている(『宮代町の中世遺物』)。

(参考サイト『儀一の城館旅』)

 

 

服部氏館跡地。左手に青林寺がある。)

(【左写真】1975年の航空写真。【右写真】宮代町教育委員会『宮代町の中世遺物』掲載の「旗本服部氏屋敷跡」の堀跡図。)

 (宮代町教育委員会『宮代町の中世遺物』掲載の「旗本服部氏屋敷跡」の発掘写真。

  (2015年3月25日訪問)

 

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