源太山

源太山(★埼玉県南埼玉郡宮代町山崎

『埼玉の中世城館跡』(第1版・昭和43年)によれば、江戸時代(元録年中)の館で、場所を山崎478番地に特定し、現況は折原氏ほかの私有地で、不規則な約3300坪の台地だとする。
また、居住者は松永源太左衛門で、服部氏館跡の青林院に松永氏の墓地があるという。

『新編武蔵風土記稿』によれば、元録年中(1688-1704)に松永源太左衛門が黄檗宗に帰依し、一寺を創建し松永坊と号したという。

伝承によれば、松永源太左衛門の祖先は土豪であり、源太左衛門の頃も富豪であったことは松永坊の開基や西光院にあったという鐘銘にその名があることから推察でき、「源太山」の地名は彼に由来し、「馬場」もその名残りの字名だという(『埼玉の中世城館跡』)。

現地は北東に低地を望む丘陵地である。既に山は無く、「げんた山バッティングセンター」「松永レストラン」という名にその想いを馳せるしかないだろう。

(参考サイト『儀一の城館旅』)

 

  

(【左写真】源太山遠望。【右写真】『埼玉の中世城館跡』(第1版・昭和43年)掲載の「現況写真」。)

 

(【左写真】1975年の航空写真。【右写真】明治時代の古地図。)

  (2015年3月25日訪問)

 

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