小西行長陣跡
関ケ原の戦い

小西行長陣跡(岐阜県不破郡関ヶ原町関が原)

小西行長は、ここ北天満山に六千余の兵を率いて、石田三成に組し、西軍として参戦した。

午前八時頃、戦闘開始の狼煙を上げ、合図をすると共に、西軍主力の一つとして、東軍の田中吉政・筒井定次らの軍勢と交戦し奮戦する。

しかし、小早川らの裏切りの衝撃は、大谷吉継の壊滅を及ぼし、さらに小西隊の混乱を招き、それに乗じた本多忠勝の襲撃で、兵士たちが敗退し始めたのは午後一時過ぎのことだったという。

行長は伊吹山中に逃れたが捕らえられ、十月一日、六条河原にて石田三成に続き斬首された。
『Wikipedia』『現地案内板』)

(跡地の航空写真)

 

小西行長陣跡碑

 

開戦地

「慶長五年九月十五日、霧が薄くなり視界も広がった午前八時。先鋒の福島正則は井伊隊の旗の動くのを見て、先陣の手柄を取られてなるものかと、宇喜多隊に一斉射撃を浴びせました。一方井伊隊福島隊に遅れまいと、島津隊に陣に向かって攻撃を開始し、合戦の火蓋が切って落とされたところです。」
(『現地案内板』)

 

開戦地碑

 

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