渡辺氏屋敷
渡辺氏屋敷(★埼玉県久喜市上川崎) 『幸手一色氏』(幸手市教育委員会)によれば、かつては利根川の旧河川が乱流していた地と考えられ、その独立自然堤防上に位置していたが、現在遺構は見出せず、詳細も不明だというが、渡辺氏屋敷も、幸手城、天神島城、高野城と有機的に機能していたと推察されている。 『新編武蔵風土記稿』によれば、上川崎の渡辺氏は、家康より幸手領5000石を安堵された一色義直の弟・政義が当地に移り住んで渡辺と称したという。政義は帰農土着し、近世までの名主階層となった。 新井氏の所伝では、幸手城には渡辺氏屋敷側に「川崎口」と呼ばれる虎口が存在したという(『新井家系図』)。 現在は、天然記念物の「渡辺家の椨の木」(旧渡辺多門家のタブノキ ・樹高19メートル・目通り3.95メートル、樹齢400年)のある民家になっている。内部の調査は民有地なのでできない状況だった。 (参考サイト『余湖くんのホームページ』『城逢人』『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(『幸手一色氏』(幸手市教育委員会)掲載の地図)
(天然記念物の「渡辺家の椨の木」のある民家になっている。)
(2015年3月25日訪問)