芦葉氏館

芦葉氏館(あしば★埼玉県幸手市中島)

『武蔵国郡村誌』によれば、天神島城主の一色直高は、天文二三年(1554)北条氏康の足利晴氏の攻撃で落城すると芦原へ潜んで生き延び、これ以後、芦葉姓を名乗ったという。しかし、寛政五年(1793)に火災によって家系等を失って、過去帳を残すのみになった。

芦葉家は江戸時代には下総国中島村の名主を代々務めていたが、明治時代に「東京神田今川小路」へ転居して、その後は不明になったという(『幸手市史調査報告書』所収「川嶋家文書」)。

現在、東岳庵(埼玉県幸手市中島)の芦葉家墓所には、天正五年(1577)に没した初代から十八代までの諡号が刻まれた石塔があるという。また近世の当主の名には「満」「朝」「範」「直」などの文字が見え、幸手城幸手一色氏との関連を想起させるという(『幸手一色氏』幸手市教育委員会)。

東岳庵のある地区が中島である。江戸川に面した地で、中世土豪の居住するに適した立地だが、居館跡の場所は定かではない。

(参考サイト『儀一の城館旅』)

 

 

(明治期の中島村の地図)

  

(【左写真】中島地区。江戸川に面した地だが、居館跡の場所は定かではない。【右写真】東岳庵。芦葉家墓所があるという。)

  (2015年3月25日訪問)

 

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