千代田氏館
千代田氏館(★埼玉県三郷市下彦川戸) 『日本城郭大系』の巻末一覧に「千代田図書が当地に移住する。代々名主役だった。」と記されている。 『新編武蔵風土記稿』によれば、先祖は江戸築城以前に、千代田村(東京都千代田区飯田町)に住んでいた一族で、千代田図書の時に当所に移住した。寛永十一年(1634)死す。代々名主を勤めたという。 『千代田守亥家系図』によれば、戦国大名里見義康は、秀吉の小田原攻めで里見氏が遅参したため所領を召し上げられ、武蔵国の千代田村に居住していたところを徳川家康に召抱えられた。またその子、忠義が大久保長安の謀叛を企てたことから所領没収となって、名を図書忠次と改め、以前に住んだ千代田に改名して、父子で当地に住んで帰農したというが、これは信用できない。 『三郷市史』によれば、千代田氏は他所からの移住者で、三郷の土地を開発した多くの人々は、「牢人」だった武士が土着してその中核になったとされる。 跡地に何ら面影は無い。 |
(埼玉県三郷市下彦川戸。居館跡の場所は定かではなく、何ら面影も無い。)
(2015年2月2日訪問)